信仰する、という事はその字の通り「信じる」という事がまず大前提になります。ダライ・ラマがカナダで行われた世界宗教者会議で
「この世界は神が創ったもの・・というような事は今や在り得ない自明の理なのです」と述べた様に、神の存在は地球上のあらゆる所に存在する数多の宗教を信じる人には存在し、信仰しない人には全く存在しないものだ、という事をまず共通の認識として捉えては如何でしょうか。相手に信仰を強要する事や、信仰の名のもとに他の宗教を攻撃することは決して許されない事でしょう。
神の存在は客観的な科学的認識の上に存在するものでなく、ただ人間の脳の知覚認識機能の中だけに漠然と存在するだけのものだ、という事を冷静に見つめなければならないと思います。生存にたいするいわれのない恐怖・愛する人を失った悲しみ・誰も逃れる事の出来ない死・この世に数多ある悲惨な事象・・これらの人知を超えた事柄から自らを納得させんが為に自然発生的に生まれたものが神であり宗教だと言えます。それは宇宙の永遠の哲理ではなく、人類の脳の中だけで生まれ出たミラージュであり、古代のシャーマニズムが整理統合され、思い思いの形で編纂されていったものに過ぎないのではないかと私は考えています。
自分の信じる宗教だけを唯一無二のものと思い込み、他の宗教を排除して行こうとする権利は誰にもありません。その信じる宗教の継承者と自称する指導者達の命によって、自らの無二の肉体を生贄とし、無垢な子供たちを自爆テロに赴かせるなど論外の恥ずべき行為です。又、ムスリムだユダヤだというだけで今迄どれほど多くの命が蹂躙されて来たことでしょうか。我々人類は本当に愚かで嘆かわしいどうしようもない悲劇を、自らの手で作り出してきたのです。ただミラージュに過ぎない神と、その継承者を自称する者達によって、自在に操られるようになってしまったのです。宗教とは、本来自由で美しく、誰であろうと関係なく、心に平安を齎し、至福の世界へと飛翔させてくれるものだった筈ではないでしょうか。 曽根悟朗