(6)遠くから又爆音が聞こえて来ます。そして今迄は列車ばかりを狙っていた飛行機が、今度は避難民の方へ向かった来ました。「みんな、早くやぶに逃げて・」という聞きなれた声が聞こえてきました。「お父さんだ」さと子もより子も同時に振り返りました。お母さんも思わず「おとうさ~ん」と叫んでいました。団のトラックに荷物を積んだり、事務所の整理をしたりして、ようやく追いついて来たと云って馬から飛び降りました。「みんな元気か」とより子達を見た後、「さあみんな馬車をおりて、高粱畑に隠れて」と急き立てました。後ろから道路の真上をソ連機数機が一直線にやってきます。
みんなそのまま大慌てで高粱畑に飛び込み、身体を隠しました。お父さんはより子とさと子を脇に抱えるようにして道路を下り、畑にしゃがみ込ませました。すぐ後ろを幸太を抱いたお母さんも続きました。みんな怖くて息も出来ない程でした。目の前で轟音と共に、「バリバリバリ」と引き裂くような音がしたかと思うと、土煙がはじけるように上がり、馬車の真上を飛んで行きます。お馬さんが何頭も倒れて行きました。サスケが血の匂いを嗅いで「ウーウー」と低く唸ってます。より子が高粱の中でサスケの首にしがみつくと、ようやく安心したのか緊張していた身体をゆるめ、より子の顔をなめてきました。
遠くへ去ったと思ったソ連機がUターンをして再びこちらに向かって来ます。今度は高粱畑に隠れている避難民を直接ねらってきました。身を隠せるようなところは他になく、お父さんに肩を抱かれてより子とさと子はひたすらじっとしているより方法はありませんでした。ガサガサガサと銃弾が高粱の葉をなぎたおして行き、ギャと声を上げて近くで別の開拓団のおじいさんが、その場で動かなくなってしまいました。飛行機が遠くへ飛び去ってから近づいてみると、おじいさんの身体の下には女の子がいて、その子はまだ生きていました。からだを振るわせて泣くことささえ出来ないようでした。お父さんはその子を抱きあげ、そして背中におんぶして黙って歩き出しました。おじいさんをどうする事も出来ませんでした。
家族あげて満蒙開拓団に加わり、お国の為にと情熱を燃やした結果がこれでした。
道に上がると、馬車は殆ど壊され、道のあちこちには人々の死体や馬の死体がころがっていました。死体はまるでボロ雑巾が投げ捨てられている様でした。投げ出された荷物を少し集めて背中に背負っていくのが精いっぱいでした。歩き出した避難民の群れはただひたすらにノロノロと歩くだけでした。さと子の足を見ると、すでにズックの靴は破れ、ほとんど靴の役目をはたしていませんでした。より子も同じでした。血がにじんで渇き、黒く変色していました。それでも何もいわず、唇をかみしめて、前をみつめて歩きました。
悪い事に雨が降り出し、それは夜が近ずくにつれさらに激しく降って来ました。遠くではまだ大砲の無慈悲な音が聞こえ、振り向く鶏寧の街も、先方の滴道の方も赤く燃えて、煙が上がっていました。しかしみんなは何とか隊列について行く他はありませんでした。隊列から外れたり遅れたりすると、満人達がよって来て暴力を振るい、荷物を奪い、暴行される事もしばしばでした。積み重なる日本人への恨みが爆発しているかのようでした。
夜、団長さんは一時行動を中止しました。殆んどの人が動けない程疲労していました。立ったまま眠っている人もいました。より子達は持ってきた毛布でみんな身体を寄せ合って座ったまま眠ろうとしましたが、たちまち毛布はぐっしょりと濡れてしまいました。伝令の人が来て、お父さんに「団長さんが呼んでいる」と伝えました。「じゃあ行ってくるから、みんな頑張るんだよ。何があっても死んじゃいけないよ」と云って出かけて行きました。それがより子達がお父さんを見た最後でした。
(7)雨は夜明けまで降り続きました。出発の合図が掛った時、すぐ近くにいた和江さんが大声を上げました。「この子が死んでいる・・」。絶叫でした。和江さんは途中の敵機の襲来で荷物を殆ど失ってしまい、夜の寒さを凌ぐものが何もなく、乳飲み子に覆いかぶさるように横になっていました。開拓団と行動を伴にしてからはお乳も出なくなり、体力のない子供がまっ先に生きる力を失って行きました。幸太もすっかり元気がなくなっていました。昨夜は持ってきた最後のおにぎりをお母さんがかみ砕いて、それを口移しに食べさせていましたが、ほとんど食べることが出来ませんでした。濡れた体で寒さに震える幸太を、みんなで囲むようにして一晩を明かしました。
出発してからも、すでに死んでいる子供をおぶったまま、歩いているお母さんもいました。そっと道をはずれて、我が子をねかせ、手を合わせている人もいました。それでも歩き続けて行かなければなりません。後ろの方からはドーンドーンという、戦車から発射される大砲の音が大きくなって来ました。
途中で日本の兵隊さん達が開拓団の人たちを暗い顔つきで追い越して行きました。団長さんが「せめて林口まで一緒に行ってくれ」と頼んだのですが、「先を急がなければならないから駄目だ」と云って断られたそうです。何のための軍隊だったのでしょうか。女と子供ばかりの集団を、日本の精鋭部隊として名高かった関東軍は、見捨てて行ったのです。
林で囲まれた小高い山の空き地に着いたのは午後3時頃でした。先頭の方へ行っていた集団からの知らせを持って、連絡員の青校生がやってきました。「これから行こうとしている林口にはすでにソ連の戦車部隊が到着していて、関東軍と交戦になったが、弾薬すら満足に持っていなかった関東軍は、たちまちの内に全滅してしまった」というものでした。
団長さん、校長先生、医者のおひげ先生、留守家族を託されていた各村の団員さんたちが、集まってお話をしていました。後ろからも前からもソ連軍、そして昼夜となく襲ってくる馬賊や入植いらい被害を受け続けてきた満州人たち。何人もの女の人がさらわれて行きました。
最後に団長さんが云いました。「ことここに至っては、女性や子供達ばかりのこの避難民を助けるすべはない。ロモーズに蹂躙され辱めを受ける事は死ぬよりもつらい事。私も含めて全員がここで自決するしか他に道はない」と云って、皆の顔を確かめるように見て行きました。皆も同じ考えのようでした。おひげ先生がいいました。「そんなことはない。最後の最後まで生きて行かなければ、この世に生まれて来た甲斐がないではないですか。何処までも生きる望みを捨てず、この世の果てまでも歩くつもりで生きて行くべきです。」と云いました。でも団長さんや他の団員の人たちは疲れ果て、先に希望を持てなくなっていました。「満州へ来てから10年が経ち、ようやく田も畑も実りの恵みを受け取れるところまで来たのに、どうしてこんな事に」という思いが強く、これからどの様な苦しみが待っているかと思うと、「もう沢山だ」「ここで死んだ方がいい」と考えていました。
より子のお母さんのところへ校長さんがやってきて「ここで全員自決ということなりました」と云いました。お母さんは「ご苦労様でした。今まで色々とお世話になりました」と云って、深く頭を下げました。より子は悲しみがこみ上げて来ました。「どうして・・」という悔しさが胸いっぱいに広がりました。「ねえ、これから何処へ行くの」とさと子がお母さんに訊きました。「いいところよ。飛行機も戦車もなくて、戦争もない、のんのんさんのところへ行くのよ」と答えました。「飛行機のこない、のんのんさんのところ~」と聞き返していました。幸太はもうほとんど力がなく、ぐったりとしていました。
午後4時を過ぎて、皆がそろって正座して東の方を向いて両手をつき頭を下げました。天皇陛下にお別れをしたのです。女の人はみんな太ももを縛っていました。より子もお母さんのおんぶ紐を貰ってしっかりと縛りました。さと子もお母さんが巻きつけています。そしてお母さんは幸助を胸の前でしっかりと抱きしめました。10人程の団員さんが銃を撃ち始めました。前の方の人たちがずんずんと倒れて行きました。苦しい悲鳴が聞こえることもありました。「しっかり撃って」という声も聞こえました。より子はお母さんがそうしている様に手を合わせて目を閉じていました。銃声がだんだん近くなってきて、お母さんの顎のあたりに弾が当たった「ガサ」という音を聴いたのが、より子の最後でした。サスケがいつまでもより子に寄り添い、顔をなめ、クゥ~ンクゥ~ンと哭いていました。
それから暫くして麻山の麓の道を、大股で東北に向かって歩いて行く人がいました。より子達を心配して探しに戻ってきたお父さんの姿でした。
2013・8・15 曽根悟朗
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